中国の歴史001 北京原人そして文明の夜明け

上海にお住まいの皆様、そして、たまたま縁あってこのブログに辿り着いた皆様、こんにちは!
散髪屋リバティの岩佐です。

最近、原泰久さんの漫画『キングダム』にハマってしまい、それがきっかけで春秋戦国時代や秦の始皇帝に興味を持ち始め、横山光輝さんの漫画『史記』にも手を出して沼ってしまっています。
中国の歴史をどんどん遡っていくと、さすが中国4千年の歴史だけあって、さまざまな出来事や登場人物が次々と出てきます。勉強が苦手な私はすぐに頭が容量オーバーになって覚えきれなくなり、そこでブログ記事を書きながら自分なりに整理しようと思いつき、久しぶりにブログを更新してみました。

本記事は、記念すべき中国の歴史ブログ第1章です!
ジャーンジャーンジャーン!

ジャーンジャーンジャーンの画像

人類の誕生

現時点の科学的発見によると、人類の祖先は約700万年前頃にアフリカ大陸で誕生したと考えられています。

約400〜300万年前頃には直立歩行が本格化し、約200万年前には石器などの道具を使い始めました。

アフリカにいた彼らは、過ごしやすい気候や食べ物を求めて世界各地に移動し始めました。

そして何万年もかけて中国にも到着し、中国の環境に合わせてグレードアップして「北京原人」が現れました。

※科学的な言い方だとグレードアップじゃなくて「分岐進化」「地域適応」と言うそうです

北京原人

北京原人は、中国語で「北京人」または「北京猿人」と言います。

北京人 běi jīng rén

北京猿人 běi jīng yuán rén

北京原人

北京原人さんたちは約77万年前から23万年前頃、現在の北京近郊の周口店洞窟で暮らしていました。

(77万年前から北京が中国の中心だったんですね。さすが首都北京!)

周口店洞窟

周口店北京原人遺跡

周口店の北京原人遺跡地図

この周口店の遺跡の付近に博物館が建てられ、原人さん達が暮らしていた洞穴跡や発掘現場、出土した石器などを実際に見ることができます。

周口店北京原人遺跡(世界遺産)

北京周口店北京人遺跡博物館の大衆点評ページ

北京原人は、中国にも古代の人類が生活していたことを証明する、歴史上非常に重要な発見なんだそうです。

中国には他にも、藍田人遺跡(陝西省藍田県)、元謀人遺跡(雲南省元謀県)、人子洞遺跡(安徽省)などで、200〜100万年前に人類がいた根拠を示す化石が発見されています。

北京原人さんの体格は現代人よりやや小柄で、脳容量は約1,000cc(現代人は1,400cc、私は800ccぐらいかなぁ…)あり、猿やチンパンジーのような姿ではなく、直立した人間に近い姿をしていて、道具を握る手や歩く脚が発達していました。石器を使い、狩猟や採集を営み、火も利用していました。周口店遺跡では、灰の層や焼けた骨が発見され、火で調理したり暖を取っていた証拠になっています。

77万年前から料理をしていたとは、どうりで中華料理は美味いわけです!(世界の三大料理→フランス料理・トルコ料理・中華料理)

北京原人の化石が発掘されたのは1920年代から1930年代頃で、中国の裴文中(péi wén zhōng)やカナダ人の学者らによって頭蓋骨や歯、道具が発見され、UNESCOの世界遺産にも登録されています。

ちなみに、北京原人の化石は第二次世界大戦中に失われてしまいました。1941年、日本軍がやってきたので化石は安全のためアメリカへ輸送される予定でした。しかし、輸送中に行方不明になってしまいます。

その理由はいくつかの説があり、

1.輸送中に船が沈没した

2.誰かに盗まれた

3.輸送中に化石の重要性が分からない人が捨ててしまった

4.化石を漢方薬(龍骨)として飲む中国の伝統医学もあることから誰かに飲まれてしまった

5.倉庫か港にまだ埋もれて存在している

などの説があり、真相は未だ闇の中だそうです。皆様はどれだと思いますか?

私はもしかしたら4番かなと思ったりしていますが…もし本当にそうだったら、飲んだ人は今すぐ出てきて全世界に謝れっ!て言いたくなりますね笑

この北京原人さんたちがその後、文明を持って争いを始めて、やがて中華を統一したのが秦の始皇帝になると思いきや、北京原人は約20万年前頃に絶滅しちゃったそうす。気候変動や競争、病気等が原因だろうと考えられています。

中華統一だ!

現代人の誕生

北京原人は滅んでしまいますが、なぜかまたアフリカで約30万年前に今の人間と同じ現代人(ホモ・サピエンス)が誕生します。言語を使い、火を使い、複雑な道具を使いこなし、その後また世界中に移動していき、中国には約5万年前頃に到着しました。

狩猟採集民として、石器や骨器を使い、動物を狩り、植物を集め、洞窟や野営地で暮らしました。芸術的な表現も見られ、岩絵や装飾品が残っています。

貴州省の穿洞遺跡で5万5千年前の人類活動痕跡が見つかる

穿洞遺跡で人類の骨や石器などが発見された

この頃はまだ定住せず、打製石器と言われる石を打ち欠いて作った粗い石器を使い、土器は使わず、狩猟・採集を中心とした生活をしていました。

この時代を旧石器時代(約260万年前〜1万年前)と言います。

黄河文明

やがて、1万年前に新石器時代に入ると定住生活が始まります。

定住生活をするようになったのは、氷河期(2万年前から約1万1,700年前頃)が終わって気候が暖かくなったのがきっかけと言われています。農作物を育てたり、家畜を飼ったりし始め、土器の技術も発展して食料を保存できるようになり、獲物を追って移動する必要がなくなったためです。

中国では黄河流域で農業が発展し、約7000年前頃から定住により食料を分け合ったり役割分担する人々の小さな集まりである村落が現れ、雑穀栽培や家畜飼育が進みました。

これが、かの有名な、黄河文明の幕開きです。(世界の四大文明→メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明)

黄河文明 huáng hé wén míng

 

次回のブログでは、黄河文明の代表的な2つの文化(仰韶文化と龍山文化)についてお話ししてみたいと思います。

長い記事を最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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