中国の歴史003 三皇五帝 キングダムのあの一族の名前が登場

上海にお住まいの皆様、そして、たまたま縁あってこのブログに辿り着いた皆様、こんにちは!
散髪屋リバティの岩佐です。

中国の歴史ブログ第3回目です!

001北京原人→002黄河文明ときて、次は夏王朝と予告していましたが、夏王朝の前の時代に伝説の時代があることを知り、予定を変更してお届けします。

伝説とは?

それは、「三皇五帝」という存在です。

今回はついに、本ブログを開始したきっかけであるキングダムに関わってくる名前も登場してきます。

三皇五帝とは?

三皇五帝とは、簡単に説明すると、中国文明の最も古い時代に登場する伝説的な聖者たちです。

夏王朝(紀元前2070年頃〜)が始まる前の、ちょうど前回ブログで紹介した仰韶文化&龍山文化あたりにいたとされる存在です。

三皇五帝は特定の作者が生み出したものではなくて、古来からの言い伝えを後世の人々が積み上げてきた存在です。

具体的には『周礼』『尚書』『山海経』『国語』『左伝』などの春秋戦国時代に書かれた古典に断片的な形で書かれ、その後、有名な司馬遷がそれらをまとめて、五帝を中心に『史記』で体系的に書き表しました。その後、唐の時代に三皇の話が加わり、今の形になりました。

メンバー紹介

三皇五帝のメンバーは、文献によって違っています。
初めて歴史ブログを書き始めて、その難しさを思い知ったのですが、歴史はよく「諸説」があります。でもその都度、「こんな説やあんな説もあります。」なんて付け加えてると、文字数がやたら多い読みにくいブログになってしまうので、一番有力そうな説に絞って紹介していきます。
  • 三皇(神話的な存在)

伏羲(ふっき) 女媧(じょか) 神農(しんのう)

  •  五帝(半分神のような人)

黄帝(こうてい) 顓頊(せんぎょく) 嚳(こく) 堯(ぎょう) 舜(しゅん)

以上の8名が一番ポピュラーです。

「三皇」はどんな存在?

三皇は、姿からしてもはや人間ではありません。人間が存在する前から現れて、人間を創り文明を与えた存在です。

1. 伏羲(ふっき

  • 推定時期: 紀元前2800年頃〜

  • 姿: 人間の頭に、蛇(龍)の体。

  • 物語: 非常に優れた「観察力」を持つ。自然界を観察していると、クモが巣を張って虫を捕らえる様子を見て、「これだ!」と閃き「網」を発明。それまで手づかみや棒で追っていた魚や鳥を網で捕まえる方法を人々に教えた。 また、亀の甲羅や星の動きを観察して宇宙の法則を読み解き、自然界を8つの基本パターンに整理する「八卦(はっけ)」を考案。

  • 一言で言うと? 「文明の基礎を作り上げた存在」

2. 女媧(じょか)

  • 推定時期: 伏羲と同じ

  • 姿: 伏羲と同様、人首蛇身の美しい女神。よく伏羲とペアで描かれる。

  • 物語: 天地が開けたばかりの頃、地上にはまだ人間がおらず「寂しいなぁ」と感じた彼女は、川辺の黄色い土(黄土)をこねて、自分に似せた人形を作り、それに息を吹き込むと…人間が誕生!しかし、一人ひとり作るのは大変なので、縄を泥水に浸してビューッと振り回し、飛び散った泥から大量の人間を作った。(雑な作り方の人間は凡人になったとか…)。 また、神々の喧嘩で天が割れた際に天を補修した。

  • 一言で言うと? 「人類の母にして、地球の修復者」

3. 神農(しんのう)/炎帝

  • 推定時期: 紀元前2700年頃〜

  • 姿: 人間の体に、牛の頭を持つ。お腹が透明で、食べたものがどう消化されるか見えた。

  • 物語: 人口が増え食料が足りなくなってきた時代、木を削って「鋤(すき)」や「鍬(くわ)」を発明し、人々に農業を教えた。 さらに、病気に苦しむ人々を救うため、世界中の草木を自ら食べて実験し薬と毒を分類。一日になんと70回も毒にあたったことも。最後は「断腸草」という毒草を食べて亡くなったという、壮絶な最期が伝えられてる。

  • 一言で言うと? 「農耕社会への転換と、漢方医学の開拓者」

ここまでが神話色の強い三皇です。
次からは、より歴史に近づいていきます。

「五帝」はどんな存在?

「五帝」の方は、だんだんと人間ぽくなってきます。

1. 黄帝(こうてい)

  • 推定時期: 紀元前2500年頃

  • 姿: 威厳に満ちた王。四つの顔を持ち、四方を同時に監視できた。

  • 物語: 神農の子孫たちの力が衰えた頃、諸侯をまとめて立ち上がる。最強最大の敵である怪物・蚩尤(しゆう)と戦い、見事勝利する。 戦後、衣服、住居、船、車、貨幣、暦、律令など、国家に必要なインフラを整備。

  • 一言で言うと? 「中華文明の始祖」

2. 顓頊(せんぎょく)

  • 推定時期: 紀元前2400年頃

  • 姿: 黄帝の孫。静かで厳格な統治者。

  • 物語: 彼の最大の功績は「絶地天通(ぜっちてんつう)」です。それまでは神と人間が自由に行き来し、誰でも神に頼ったり、逆に悪霊が入り込んだりとカオスな状態でした。彼は「神の世界(天)」と「人の世界(地)」を厳格に切り離し、特定の神官だけが祭祀を行えるようにしました。

  • 一言で言うと? 「宗教と政治を整理した」

3. 嚳(こく)

  • 推定時期: 紀元前2400年頃

  • 姿: 聡明で徳の高い王。

  • 物語: 顓頊の後を継いだ。天体の運行を極めて精密に観測し、暦(カレンダー)を修正。農業にとって「いつ種をまくか」は死活問題。彼の正確な暦のおかげで、国は豊かになりました。また、多くの打楽器や管楽器を発明し、音楽で人々の心を和ませた。

  • 一言で言うと? 「カレンダーと音楽で民を豊かにした」

4. 堯(ぎょう)

  • 推定時期: 紀元前2350年頃

  • 姿: 質素な服を着た、王というより修行僧のような姿。

  • 物語: 空に10個の太陽が現れ、地上が灼熱地獄になった時、伝説の射手に頼んで9つの太陽を撃ち落とさせ世界を救う。 自分の息子が不出来だと悟るや、血の繋がりのない民間の賢者・舜(しゅん)を探し出し、生前に「禅譲(ぜんじょう)」して王位を譲った。

  • 一言で言うと? 「権力に執着しなかった聖人」

5. 舜(しゅん)

  • 推定時期: 紀元前2250年頃

  • 姿: 龍のような顔立ちで色黒、目が重瞳(二重の瞳孔)

  • 物語: 政治的事情で実の父、継母、連れ子の弟から何度も殺されかけるも、決して家族を恨まず、親孝行を続けた。 その強靭な精神力と徳を見込まれて王になり、法律を整備し、悪い部族を追放して社会を安定させた。堯・舜の時代は「堯舜の治」と呼ばれ、平和で理想的な黄金時代だった。

  • 一言で言うと? 至高の徳を体現した、伝説の聖王

以上で、三皇五帝にエントリーされている聖者達を全てご紹介いたしました。

ここで….

上記の物語の中で、キングダムのファンの方は馴染みのある言葉を見つけられたと思います。

そう、「蚩尤」と言う名前が出てきましたね!

トーンタタン…トーンタタン…

みんな大好き羌瘣(きょうかい)が生まれ育った「最強の暗殺者一族」ですね!

『キングダム』作者の原泰久先生は、中華文明の始祖・黄帝をも苦しめた伝説の怪物『蚩尤』の圧倒的な強さから、それを暗殺者一族の名前にしたのですね。

この蚩尤の実力を調べてみたところ、それはそれは恐ろしく強かったらしく、銅の頭・鉄の額、牛の頭に人間の体、角、複数の目や腕(宿儺かよ!)、刀剣を食べて生き、不死身に近い耐久力を持っていました。

黄帝は炎帝軍と連合を組むも苦戦しますが、なんとか最後は新兵器の導入や女神降臨等により劇的に勝利しました。

苗族(ミャオ族)では、蚩尤を先祖神偉大な英雄として崇拝する伝統があり、勝負事の神様としても崇められています。

キングダムの熱烈なファンの方は聖地巡りリストに苗族を加えないといけませんね!

炎黄子孙(yán huáng zǐ sūn)

今の中国には、三皇五帝にちなんだ、炎黄子孫(えんこうしそん)「私たちは炎帝と黄帝の子孫である」という言葉があります。

  • 炎=炎帝(神農)

  • 黄=黄帝

別々だった二人の部族が合流して今の中国ができたとされており、現代中国で「民族の誇りや団結」を表すキーワードになっています。

試しにうちの中国人社員に、貴方は炎黄子孫なの?と聞いてみると、一瞬考えた後、

「官方是这么说的(Guān fāng zhè me shuō de)」

(直訳)=「公式(政府や教科書)ではそう言っています。」

答え方の雰囲気を加えて今風に訳すと「あ〜なんかお上はそう言ってますね。」

みたいな、お国の都合に対する冷ややかさと、伝説的な話への冷静さを感じるような、少しユーモアのある「大人な回答」をしてきました。笑

でも確かに中国ではそう言われていることが分かりました。中国人社員と働いてる方は、同じ質問をしてみると色々面白い話ができるかもしれませんね。

まとめ

以上、不思議な物語を見てきました。

考古学的には、この頃は「新石器時代」の終盤で、川のそばに身を寄せ合い、お堀や土壁で囲まれた小さな集落が点在している光景です。

  • 「隣の集落のフッキおじさんがクモの巣を見て魚を捕る網を発明したらしいぞ。便利すぎる!」

  • 「茅葺き屋根の修理ならジョカ姉さんに頼めば間違いない!」
  • 「シン爺さんは、食べられる草と毒草を全部把握している。おかげで村の食生活が安定したよ」

そんな集落の人気者が、気の遠くなるような時を経て、いつの間にか「三皇」になってしまったのかもしれないと想像してみるのも、また面白いですね。

「五帝」は、司馬遷の『史記』で「理想的な支配者達」として書かれました。

実は『史記』は、当時の支配者(漢の時代)が主導して書かせた公式記録という訳ではありませんでした。司馬遷という個人が父の遺志を継いで書き進めたもので、そこには「国の支配者はこんな風に徳ある素晴らしい姿であるべきですよ」という、当時の支配者層への当て付け的な面も少し含まれていたと言われています。

この司馬遷の生き様も面白いので、いつかまた記事にしてみたいと思っています。

以上、次こそは「夏王朝編」をお届けしたいと思います。

長い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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